校長ブログ

「しぶとく」生きる! ~6年生 斎藤智孝助産師による「命」の学習~

 6年生教室のカウントダウンカレンダーが「あと18日」を示していた今日、例年と同じように助産師の斎藤智孝さんをお招きし、6年生に「命の授業」をお願いしました。来月17日に旅立つ6年生に、今一度「自分らしく力いっぱい生きる」大切さを、「命の誕生」に関わる仕事をされてきた経験や思いを基に、「心をこめて、魂を込めて」伝えてくださいました。

 コロナ禍の3年間、いろいろと社会が抱えている問題が浮き彫りになってきました。病院での「面会」が難しく、家族揃って赤ちゃんの誕生を見守れなくなってしまったこと。逆にそのことで、病院ではなく助産院や自宅での出産を選ぶ人が増え、斉藤さんはその現場に毎日立ち会っていることを聞きました。

 また、せっかく生まれた命なのに、産後、お母さん独りが育児に悩み苦しみ、耐えきれなくなって自死を選んでしまう事案も実際にあるという悲しい現実についても聞きました。

 長年、「命の誕生」を全身全霊でサポートしてきた斎藤さんは言います。

「どんなに医学が発達しても、赤ちゃんが100%無事に生まれる保証はないんよ。生まれる赤ちゃんと産むお母さんの力を信じて、最後は祈ることしかできんのよ。」

「今まで、もう少しのところで…残念ながら生まれてこられなかった赤ちゃんを見てきました。亡くなった小さな命を悲しみ、助けてあげられなかった自分の力のなさを嘆き、『もうこの仕事を続けていけない』と思うことが何度もあったんよ。でも残された家族の思いに寄り添い、その力になるために、『やっぱりここから逃げちゃいかん!』と思い直し、この仕事を続けてきたんよ。」

 斎藤さんは、「命」というものの喜びも悲しみもすべて受け入れて、「命の誕生」に携わる助産師という仕事の尊さと大切さを胸に刻んで、今も毎日「命の誕生」に向き合っておられます。こんな斎藤さんの「心の底からの思い」を子どもたちはどう受け止めたでしょうか…。

 今日は、ある動画を視聴しました。「失われたものだけではない」という、2011年3月11日の東日本大震災の日、まさにその日に「この世に生を受けた赤ちゃんたち」のビデオでした。地震や津波であまりにも多くのものが失われましたが、その日確かに新たに「生まれた命」もあったのです。

 病院も機能していない、電気もない、赤ちゃんを出産するための環境が全くない中で…、ある赤ちゃんは車の中で…、ある赤ちゃんは公民館のダンボールの囲いの中で…、何もない中でも、生まれようとする赤ちゃんの力と、何としても産もうと思うお母さんの力、そして「命の誕生」を願う周りの人たちの協力と優しさの中で、力強く生まれてきた赤ちゃんたちの映像です。周りの人たちの「よかった~、無事に生まれた~」という心から歓喜と安堵の映像でした。

 あの日、多くの人たちの大きな愛と見守りの中で生まれた赤ちゃんたちは、この3月、本校の6年生とともに小学校の卒業式を迎えます。この子たちは、卒業式をどんな気持ちで迎えるのでしょうか。今ここにある「自分たちの命」を、ここまで育ってきた「12年間」をどう考えるのでしょうか。

 斎藤さんは、熱く問いかけます。

「親からスマホの使い過ぎを注意されて、親子喧嘩をし、『そんなだったらスマホを取り上げるぞ』と言われて、『スマホがなかったら生きていけない~!』とわめき散らす子どもの話があるんだけど、どう思う?」

 

 斎藤さんは続けます。

「生きていれば、時には自分に自信を無くし、悩みに悩み、耐えられないほど苦しくなる時もある。そんな時は『生きる意味』が分からなくなり、自分の「命の価値」を見失ってしまう時がある。そんな時は、ちょっと立ち止まっていい。休めばいい。エネルギーがたまるまで待てばいい。でも、休んだ後は、必ず『よし!』と立ち上がって再び歩き出してほしい。」

「人は皆、生きるために、生きる力をもって生まれてきた。皆に願われて、祝福されて生まれてきた。「生きる意味」について考える時、ここに立ち戻ることです。『他人』と比べて、自分に自信を無くすのでなく、『少し前の自分』と比べて、自分の少しの成長を喜んでほしい。」

「そう強く思って、自分らしく力いっぱい生きてほしい。」

「しぶとくしぶとく生きてほしい。」

 斎藤さんの「命の授業」…卒業まであと18日となった今、子どもたちは何を思ったでしょう…。